松井旅館跡 (南4東4) ―― 有名人が泊まった網走の一流旅館 ―― 釧路街道起点のそばに、松井旅館がありました。明治年代に創業した網走最初の旅館といわれています。建物の造りは一流旅館としての品格をそなえ、網走を訪れる人々に利用されました。 大正3年(1914)に網走にやってきた作家の長田幹彦は、短編「網走港」の中で、次のように書いています。 『松井という旅館はその通りをもう少しで行き詰めようと云ふ右側の所にあった。新しい二層楼の堂々とした建物で、屋上は物見台のついた様子などは全く四辺の町と調子を破るものだった。−−』 著名人の宿泊も多く、高田源蔵という人の明治38年の日記には、第七師団長が巡回でやって来て、松井旅館に泊まったことが書かれています。 大正13年(1924)1月には、俳人臼田亜浪が泊まっています。歓迎会も松井旅館で開かれ、旅館の窓から黙祷をするようにオホーツク海の氷原を眺めていた亜浪が、さっと色紙に書いた句が、「今日も暮るる吹雪の底の大日輪」だったと伝えられています。 大正15年10月(1926)には、歌人若山牧水、喜志子夫妻も泊まっています。牧水を囲んでの歌会が松井旅館で開かれ、そのとき牧水が書いた「秋味のあみこそ見ゆる網走のま黒き海の沖つべの浪」という短冊が残されています。 さまざまの歴史を秘めた松井旅館は、昭和20年ころまで営業を続けていました。 |
大正3年の松井旅館
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