又十藤野網走分店跡 (南4東6)
―― 漁業の根拠地は248坪の番屋 ―― ここは、北見町中通一丁目から商店街に向かって、50メートルほど来た場所です。白田鋸店の駐車場の端に標柱があります。この場所に又十藤野網走分店がありました。 今から二百年ほど前の寛政2年(1790)に、漁業のための斜里場所ができて、のちに初代藤野喜兵衛が網走に番屋を設けました。そのころ、藤野家は北海道の各地で漁業を行ない豪商と呼ばれていました。 網走ではそれまでアイヌの人たちが生活しているだけでしたから、和人が漁業をはじめた最初の根拠地になりました。やがて漁業がさかんになり、その中心になったのが藤野家の事務所である分店です。 建物は平屋で、間口28間、奥行8間5尺、248坪(818u)もありました。分店の中には、駅逓所、戸長事務所、郵便取扱所などがあったそうですから、まるで役場みたいなものです。どんなにりっぱでにぎわっていたかが想像できます。 藤野家は、その後牧場や酪農などの事業をおこし、網走開拓に大きな影響をあたえました。藤野家はかつて柏屋と称し「又十」という家印を持っていたため、町の人々に「またじゅう」と呼ばれていました。 近くの奥谷よう子さんが住んでいる住宅は、藤野支店の一部でした。改造が行なわれていますが、当時の面かげを残している建物として、大変貴重なものです。 |
藤野の倉庫
明治28年に建てられた |
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