北見町中通一丁目跡 (南4東6)
―― 網走にあった北見国北見町 ――
むかし、網走に北見町があったことを知っていますか。 その北見町の一丁目だったのが、現在の東六丁目付近で、南四条通りをまっすぐ東に向かって来た、港の入り口近くです。
なぜ、網走に北見町があったのでしょう。 明治2年(1869)に探検家の松浦武四郎が、斜里から宗谷、利尻、礼文までのオホーツク沿岸を、北見と名づけようという意見を出しました。この地方を北海岸とよんでいたことと、カラフト島が見えたからです。武四郎の考えを入れた明治政府は「北見国」と命名し、郡名を決めました。
そして、明治14年(1881)に市街地となる区域を「北見町」としました。ほかに、南裏、南、北の通り名と丁目を決めました。
ですから、この場所は「北見國網走郡北見町中通一丁目」なのです。
北見町は、この地方の開拓のために移住してくる人たちにとって、郡役所のある中心の町であり、オホーツク発展の要であり出発点だったのです。
その後北見町は、明治25年に網走町に統合されましたが、大正14年(1925)までは大字名として使われていました。
北見町中通一丁目から網走の歴史散歩は始まります。いっしょに歩いてみませんか。
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