山田製軸所跡 (大曲一丁目)

―― 明治にマッチの軸を製造した工場 ――

 駅前から新町をへて、大曲(おおまがり)にやって来ました。網走刑務所を右手に見てきましたが、網走川にかかる鏡橋など由緒あるものが多くあります。

 大曲の国道39号線にある交差点ふきんの道ばたに、この標柱があります。製軸所とはいったい何を作っていたのでしょう。それはあの小さく細いマッチの軸木です。

 明治24年(1891)に、この場所に製軸の工場を建てたのは、山田慎さんです。網走川の上流から伐り出してきた白楊樹というヤナギの木を材料にして、マッチの軸をつくる工場は、始めた頃には、網走分監(刑務所)の受刑者を工員として使ったといいます。

 発動機2台、むき出し機14台、乾燥機3台をそなえた工場は、全国でも有数のものでした。マッチの軸は、原木をリンゴの皮をむくように薄くして、それを重ねあわせて切り出していくものでした。

 キリスト教徒の山田慎さんは、職工の働く時間を午前5時から、午後5時までとし、昼休みは30分、月2回は休日と決めていました。今から見るときつい仕事ですが、明治時代としては近代的なものといっていいでしょう。

 今でこそ、ライターがあり、ガスや灯油も自動点火ですが、むかしはすべてマッチにたよっていたのですから、網走産のマッチの軸は大切なものだったのです。明治28年の生産高は2万5千俵と記録され、網走港から神戸など、本州の港に運ばれました。

 

 

 

山田製軸所

 

 

 



歴史散歩 山田製軸所跡