網走川埋立地 (新町二丁目)

―― 木下八郎右衛門さんの一世一代の大工事 ――

 網走駅方向の左がわ、株式会社三光の駐車場横に標柱があります。かつては、この付近まで網走川の川幅があったのです。

 さて、大正元年(1912〉につくられた網走駅は、しだいに客や貨物が増えるにつれ、不便になってきました。また釧網線が大正13年に開通したため、つながりが不便になってきました。スイッチバックという方法で、斜里方面に向かわなくてはなりません。
 そこで、駅の移転が計画されました。それまでどおりの場所という意見と、今の新町の方へという意見が出され、町を二つに分けるほどの争いになりましたが、結局新町の方へ移転することになりました。
 ところが昭和の初めころ、網走川は今よりずっと川幅が広かったため、市街地への道路用地がありません。

 昭和2年(1927)、道会議員の東條貞さんを先頭に、町の有志が網走川の埋立て計画を進めたのですが、なかなかうまくいかず、最後に二代目木下八郎右衛門さんが、個人の事業で、工事を開始したのです。網走商工会の会頭で、土木建築業を営んでいた木下さんは、駅の移転に熱心だったのです。

 土を積んだトロッコを馬で引いて、埋め立てていく工事は、昭和3年(1928)に始まり、3年後の昭和6年に完成しました。12600坪(41,580u)の埋立てには、当時のお金で6万円もかかったといわれています。

 木下八郎右衛門さんの一世一代の熱意をかけた埋立て工事は、網走駅の移転だけでなく後に新町や川向い、大曲がのびていく基礎になったのでした。

 

 

 

昭和5年の埋立工事風景

 

 

 



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