旧日本軍トーチ力跡 (藻琴二二五)

―― アメリカ軍の上陸に備えて ――

 ポーロの坂の上り口だったポンモイから、海岸沿いに鱒浦をすぎて、藻琴までやって来ました。この海岸線は網走近郊ではもっとも美しいなぎさで、冬には流氷の見どころになっています。
 網走市街からおよそ9キロメートルの藻琴市街の入り口から、山手に回って丘に上ると、網走原生牧場レストランがあり、すぐ裏に旧日本軍の防衛トーチカ跡があります。

 太平洋戦争末期の昭和19年(1944)、オホーツク海岸へのアメリカ軍上陸に備えて、日本陸軍が警備についていました。

海からの敵を迎え撃つためのトーチカづくりは、三、四十人の兵隊がスコップだけで、わずか三ヶ月で貨車一台分のセメントを使いました。厚さ50センチのコンクリートの壁にかこまれた、二つの部屋と廊下を持つトーチカは、地下二階建てで二か所に銃眼が残っています。

 これは網走原生牧場の桜岡実さんが発見し、掘り起こしたものですが、ほかにも網走市内には7つのトーチカ跡が確認されています。なかでもこの藻琴の丘のものは、いちばん規模の大きなものです。どのトーチカも共通して銃眼が、知床半島方向のオホーツク海に向けられています。

 これらのトーチカは、幸いに一度も使われず、昭和20年8月15日の戦争終結を迎えました。

 さて、郊外の藻琴からもう一度、網走市街にもどりましょう。

 

 

 

トーチカ内部から見た銃眼

 

 

 



歴史散歩 旧日本軍トーチカ跡