網走簡易小学校跡 (南四東三)

―― 網走管内最初の公立小学校 ――

 網走郵便局前です。今から百十年以上も前に、初めて学校ができた場所です。

 明治17年(1884)9月25日、民家の一室12坪(約40u)を借り受けて勉強が始まりました。子どもは五、六人で、教えるのは網走郡役所のお役人が、とりあえずの先生になりました。教科は読書(国語)、算術(算数)、習字だけでしたから、今の子どもにとってうらやましい話です。

 これが網走管内に最初につくられた公立学校です。そのころ、網走は戸数三、四十戸の小さな村でした。それまでは藤野の分店の中に、寺子屋のようなものがあったらしいと伝えられています。

 さて、民家を借りてはじまった簡易小学校は、次の年にこの場所に校舎を新築しましたが、しだいに子どもの数が増えて、明治25年ころには100人をこえるほどになりました。そこで明治27年に、今の市民会館のあたりに校舎を移し、網走尋常高等小学校という名に変わりました。そのころの小学校は四年生まで、高等科は三年生まででした。

 その後、網走の開拓は進み人口が増えて、明治時代後期に大曲(おおまがり)分教場、於将府(おしょっぷ)(鱒浦)分教場、礼文尻(れぶんしり)(嘉多山)簡易教育所、藻琴特別教授場などができて、大正、昭和の教育発展につながっていきます。市民会館のあたりにあった網走尋常高等小学校は、その後女子尋常高等小学校になり、今の網走市立中央小学校になったのでした。

 

 

 

設立当時の網走簡易
小学校の想像図

 

 

 



歴史散歩 網走簡易小学校跡