知人岬跡 (台町二丁目六)
―― 海へつき出ていた難所の岬 ――
平成8年(1996)に台町の港を眼下にする丘に、しおさい公園ができました。小さな公園ですが、網走港、オホーツク海、知床半島の山々が見渡せる場所です。この公園の東はしが知人岬(しれとみさき)の跡です。公園の展望台に立つと、さっき回ってきた「捕鯨基地跡」も、すぐそこに見下ろすことができます。
むかし、この台地はオホーツク海に向かって突き出ていました。アイヌ語のシレトは、陸地の突き出た所という意味で、長い間、網走の街から鱒浦、藻琴方面への通行をはばんでいた難所でした。
松浦武四郎が安政5年(1858)に書いた西蝦夷日誌の中に、岬のスケッチがありシレトと記入されています。上の台地にはノッカ(岬の上)と書かれてあり現在の台町一帯はノッカコタンと呼ばれ、アイヌの人たちが暮していました。
やがて、知人と和名になった岬は、道路建設や採石のためにけずられ、崖下は国道となって現在の姿になったのです。
知人岬跡から東がわの海岸が入りくんだ所がポンモイ(小さな人江)です。そこから丘へ上るポーロの坂をたずねましょう。
|