私立北見女学校跡 (桂町2丁目1)

―― ペスタロッチ教育の私立学校 ――

藻琴から網走市街の桂町にやってきました。

桂ヶ岡のソレイユ前の駐車場のそばです。ここは、私立北見女学校の建物があった場所です。明治43年(1910)稲垣吉慎さんが、北見町南通りに仮校舎の北見女学校を開き、次の年の明治44年に、桂ヶ岡に新校舎を建てました。

網走管内初めての女学校は、小学校卒業以上の女子の教育をおこない、裁縫や料理などをおもにして、家庭生活や作法を大切なものとして教えました。

校長の稲垣吉慎さんは、岐阜県出身で東京で女子教育にたずさわった後、小清水にやってきて、牧場を経営していましたが、牧場を売り払い、網走に学校を開いたのです。スイスの教育家ペスタロッチの、人間性をのばす教育を目標として、情熱を持っていた人でした。網走管内初めての幼稚園もあわせていた私立学校は、大正6年(1917)になくなっています。

近くの道ばたに桂の木の老木があります。稲垣校長はこの木を大切にし、桂ケ岡という名を、この桂の木からとりました。学校の校章も桂の葉にちなんだそうです。

ソレイユのすぐ向かいに国の指定文化財になっている「桂ヶ岡チャシ」があります。アイヌ民族のとりでといわれるチャシは、談判の場所でもあり、チャランケチャシともよばれています。チャシの先には、米村喜男衛さんが創立した網走市立郷土博物館があります。

ここまで来たのですから、もう少し道を上り、公民館、網走小学校をすぎた道のそばにある「網走空襲の碑」をたずねてください。昭和20年7月15日の空襲で犠牲になった14人の名がきざまれています。これも忘れることの出来ない歴史です。

 

 

 

桂ヶ岡移転直後の
北見女学校

 

 

 



歴史散歩 私立北見女学校跡