一松座跡 (南5西4)
―― 町の人々でにぎわつた演芸場 ――
桂町からまた市街地へ下りて来ました。南五条西四丁目のここは、はまむき医院の駐車場のあたりです。
むかし、栗田市五郎さんの経営する一松座は、北見町中通九丁目にありました。「構造堅固規模大なるを以て観客八、九百人を容れても敢えて狭きを感ぜす」という記録がありますから、かなり大きく立派なものだったのでしょう。
一松座は主に演劇を上演していたといいますが、芝居と呼んだ方がいいのかもしれません。男席と女席がきちんと分けられていて、座布団一枚何銭、火鉢一つ何銭と借り賃が必要でした。娯楽の少なかった時代ですから、人々は演じられる芝居に笑ったり泣いたりして、楽しんでいたのです。
明治35年(1902)には活動写真の興行があって、一松座がいっぱいになったという記録があります。また、日露戦争のころには、戦争の幻灯会や、戦勝会が盛んに開かれています。町内には一松座のほかに、演芸館、日吉亭などの大きな劇場がありました。明治35年よりも前に開業された一松座は、昭和15年ころに消えていきました。
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