旧網走駅跡 (南3西3)

―― 町民が待ち望んでいた網走停車場 ――

 今、旧網走駅跡に立っています。網走セントラルホテル近くの三条駐車場のそばです。ここに網走最初の鉄道の駅ができたのは、大正元年(1912)10月のことです。

 網走線は、十勝の池田から着工し、野付牛(北見)を通り網走まで開通したのです。網走町民が待ち望んでいた駅は、最初の頃は駅員が20人ほどで、乗降客は1日300人くらいでした。駅から積みこまれる貨物は、豆やエンバクなどの雑穀や、木材などが主なものでした。

この駅は、昭和7年(1932)まで使われましたが、新町の今の駅ができて移転したため、貨物専用の浜網走駅となって、昭和44年まで使われていました。

旧網走駅の時代に、いろいろの人たちが降り立ちましたが、二人の作家の見た駅を紹介しましょう。

 長田幹彦は大正3年の春に網走へやって来ました。
『−−網走線の終点なので停車場も貧しいながら何処やら今まで通ってきた駅々とは違っていた。降車する客も三々伍々プラットホームに動いて、凍えた空気の底には砂利を踏む足音と声がひそひそと響いてゆく−−』
 この描写は「網走港」という作品に書かれているものです。その頃は停車場とよばれていました。

 中野重治が、十勝の池田から北見をへて網走にやって来たのは、大正11年(1922)の夏のことです。学生だった中野重治は夏休みを利用して北海道旅行をしていました。
『私は、その鉄道の終点にある、北の方の海ぎしの小さな町へ降りた。もう夏の日も暮れていた。見るとこの小さな寂しい町の停車場前の広場には、何か急ごしらえのトタン張りの大きな門が建っていて黒い字が書いてある。−−』

中野重治は、4、5日網走に滞在した後、また網走駅から北見、池田を通って根室に向かったのです。釧網線がまだなかった時代のことです。

やがて、この駅が移転して新しい網走駅ができるために、また一つの物語があるのです。そこで、今の網走駅の方角に向かって、新町二丁目まで行ってみましょう。

 

 

 

大正時代の旧網走駅

 

 

乗降客でにぎわった旧網走駅

 



歴史散歩 旧網走駅跡